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眼力を宿す

 

 

ヨガのワークショップで知り合った、当時29歳の女性がこんな話をしてくれた。

「私はなぜか勧誘されることが多いんです。この前なんか電車に乗っていたときに、

 後ろに座っていた人がわざわざ隣に座って勧誘してきました」

 

その話を聞き、僕は勧誘する人の気持ちになってみて「ああ、なるほど」と思った。

確かに彼女なら話を聞いてくれそうだし、売れるかもしれないと思った。

それを彼女に伝えると「そうですか?」と驚いた後、「そうかも」と納得していた。

 

きっと、勧誘を生業にする人は、相手の顔を毎日何時間も観察しているのだろう。

相手の顔が怖ければ声をかけにくいし、気弱そうなら声をかけやすい。

人の顔には、その人の性質がよく表れる。

特に目には、その人の自信・意志・慈愛が輝きとして表れる。

眼力をより強く、美しくすれば、勧誘をする人に「あの人は無理だ」と思わせることができる。

 

僕は勧誘に悩む彼女に、そのことを伝えた。

その後、彼女の希望により、何度かヨガを教える機会があった。

そこで、2時間のうち30分を武術の時間にした。

 

僕は彼女に正拳突きと前蹴りを教え、目の力を意識するように伝えた。

しかし、なかなか彼女の目に、勧誘を退ける眼力は生まれなかった。

体は動いているが、ちょっと照れていて、気迫がまるで無い。

 

そこで、試しに僕のお腹を思い切り正拳突きさせてみた。

「ほら、全然効いてないでしょ、腕だけでなく、足腰から打って」

そんなふうにして、ただの運動ではなく武術であることを伝えた。

少しずつ、彼女の眼に自信と気迫が宿っていった。

 

その後、アーサナの時間になり、シャヴァアーサナで寝転んだ。

リラックスを深めていると、ふと彼女へのメッセージが頭に浮かんできた。

「子犬はお互いに噛んだりしてじゃれあいながら、痛みを知って手加減を覚えますね。

 どれくらい力を入れたら痛いか、どれくらいなら大丈夫か、

 痛みがどんな風に消えてゆくかを体験するのは大切です」

 

そのメッセージを通じて、僕は大切なことに気がついた。

勧誘を退ける眼力を身につけることよりも、もっと大切なこと。

それは、対人関係の無駄な緊張を取り除き、相手を思いやることだ。

 

警戒すべき相手や物事と、そこまで警戒しなくてもよいことを識別すること。

自分と相手が、互いにどのように影響しあうのか、その加減を知ること。

そうすれば、表情からよけいな不安と緊張が消え、温かい表情になれる。

 

「あの人を騙すのは無理だ」と思わせる厳しい表情も必要だけど、

「あの人を騙したくはない」と思わせる温かい表情はもっと尊い。

それは、言葉を発した僕自身にとっても、大切なメッセージだった。

 

瞑想を終えてから教室を出るまでの間、彼女の瞳は自信に輝いていた。

手足が暖かくて、心地が良いと言ってくれた。

そう、それがヨガと武術の恩恵だ。

 

相手を打つためではなく、打たせないために。

少しずつでもよい、小さくても良いから。

温かくて優しい平和の灯火を、瞳に宿していって欲しい。

 

様々な人と共に生きながら、非暴力の精神を貫くために

ヨギは武道と出会う

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