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邪気を払う

 

 

入社して間もない頃は、同期の仲間とよく旅行に行った。

スキー場に行った夜、旅館で遊んで、布団に入った後に、ふいに怪談が始まった。

「やべえ、テレビから幽霊が出てきそうな気がする」Tさんがつぶやく。

「そういえば、なんか、ひたひたと音がするような・・」Yさんが便乗する。

 

初めは冗談だったが、怪談特有の邪気が漂い始めたのを感じて、僕はこう言った。

「大丈夫、テレビの前に毬栗でも置いとけばいい。出てきたら『痛て』ってなるから」

皆で爆笑して、すぐに邪気は消えた。笑い声には、邪気を払う力がある。

 

怪談やホラー映画には恐怖を生み出すために邪気が欠かせないが、

ヨガを実習する上で、心静かに瞑想するためには、邪気を払う必要がある。

 

邪気は様々な方法で払うことができる。

明るい太陽光を取り入れたり、清潔で美しい部屋にしたり。

情熱的な太鼓を響かせたり、陽気な音楽を奏でたり。

幸せで微笑んだり、皆で楽しく笑ったり。

 

そして、特に大切な要素が「神聖さ」である。

神社などで行われる神聖な儀式は邪気を払い、幸福を呼び込む。

 

僕は一度、大峯山の近くで行われる山伏の儀式を見たことがある。

法螺貝を吹きながら山伏が登場し、大きな炎が焚かれた、

斧を振り、弓を何度か引いていたが、実際に矢を放つのは一度だけだった。

途中で雨がざっと降り出したので、火が消えないか心配したが、すぐに止んだ。

 

後で宿の女将さんに話を聞くと、ほぼ毎年のように雨が降って止むらしい。

「龍神さんがいらっしゃって、雨を降らすんですよ」と話してくれた。

そういえば、山伏の皆さんは誰も心配せずに、儀式を進めていた。

その日、僕は神聖な儀式を目の当たりにしたと思った。

 

シャクティ・ヨガ・サーダナが武道で重視するのも神聖さである。

座り方、立ち方、礼の仕方、その全てに神聖さを宿してゆく。

 

特に、音の力を用いることを重視する。

動作と気合を一致させ、音が表示する形や意味をイメージする。

ヌンチャクの型には「エイ」「ヤッ」「トウ」の3種類の気合がある。

 

「エイ」には「鋭」とも書くように、鋭い三角で道を切り開く形がある。

「ヤッ」には「矢」とも書くように、一点に力を集約する形がある。

「トウ」には「闘」とも書くように、まっすぐに闘う形がある。

 

先生はヌンチャクの稽古で生徒を褒めるとき、よくこんな言葉を用いる。

「うん、いい音だ」

 

ヌンチャクを稽古する目的は、心身を鍛えるためだけではない。

ヌンチャクが風を切り裂く音や気合で、その場の邪気を払うためである。

 

それは、山伏が儀式で斧を振り、弓弦を鳴り響かせるのと同じである。

山では音を響かせて、獣を驚かせるという意味もある。

 

山で修行を積み重ねる人間には、獣や邪気を払いのける力が必要だ。

里で修行を積み重ねる人間にも、対人関係のストレスを払う力が必要だ。

そうでなくては、心静かに瞑想することはできない。

 

静かな場所に一人で座る、その時に心に「怯え」や「ストレス」があるのなら、

「笑い」「陽気」「神聖さ」などの力で、心を安定させることが先決だ。

邪気もストレスも軽く払いのける力が、武道にはある。

 

いつでもどこでも、瞑想できる環境と心構えを作るために

ヨギは武道と出会う

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