花が空に伸びゆくように

目に見える体よりも、目に見えない心の問題のほうが解決することが難しいと思う。
お腹が空いたり、眠たくなる体と違って、解決策が分かりにくいし、数値で計りにくい。
人それぞれに様々な問題があり、人それぞれの答えがある。
相談し、助言を受けて、それでも答えが出ないこともある。
「正解なんて無いのだから」と諦めることもあるかもしれない。
それでも、心の問題を諦めずに、心と向き合いながら生きてゆく人もいる。
ずっと昔から、今もなお、心と向き合い、進むべき道を探し続ける人たちがいる。
どうすれば、目に見えない心と向き合い、進むべき道を決めることができるだろうか。
ずっと昔から、代表的な方法として、瞑想を深めるという方法がある。
ヨガには瞑想を深めるための技術がある。
瞑想の話をすると、こんな質問をされることがある。
「瞑想していて、無になることってあるんですか?
私は座って目を閉じても、色々なことを考えてしまってうまく行きません」
「形を整えて座って、目を閉じれば瞑想になるとは限りません。
リラックスして、呼吸が深く静まれば、心も静かになって瞑想しやすくなります。
そのために体をほぐしたり、色々します。
例えばお風呂に入って『はあー』ってなって、一瞬だけ思考が止まることってありますよね。
あの感じが近いかな」
あるいは、このような質問をされることもある。
「瞑想って、何か悟りのようなものが開けたりするんですか?」
「心の整理がついて自分の悩みが解決したり、分からなかったことが分かることはあります。
でも未だに分からないことはたくさんあります」
瞑想とは特定の行為ではなく、状態のことを表現していることもある。
「集中」と言っても人それぞれに方法が違うように、瞑想を深める方法も様々である。
「目」「冥(くらい)」「想」と書く通り、目を閉じて思考を巡らせるのが元の意味である。
心は目に見えないから、心に集中するためには、瞑想が適している。
目を閉じて集中しようとすれば、頭に雑念が浮かぶこともある。
雑念を通じて、心がたくさんの情報に影響を受けていることを自覚できる。
心に集中し、自分にとって本当に大切なメッセージを受取るためには、
習慣を変えて、不要な情報を減らす努力も必要になる。
瞑想を深めるための努力がここから始まる。
僕は2007年から、毎日の瞑想を習慣とし、心と向き合うようになった。
アーサナで体を調整し、安定した姿勢で座り、呼吸法などを行ってから瞑想に入る。
集中できるときもあれば、集中できないときもある。
ヨガの技術が上達するにつれて、瞑想の奥深さを体験し続けている。
悩み、迷うとき、瞑想が最も頼りになる。
心を整えれば、自分を確実に良い方向へと導ける。
心と日々向き合うことで、人生に起こる様々な事柄の意味を知ることができる。
大切なメッセージをしっかりと受け取り、行動を正しく変えてゆくことができる。
瞑想は心の地図であり、指針である。
瞑想は心の平安であり、静寂である。
瞑想は心の暁である。

朝日が昇りゆくとき、誰もが太陽の存在を思い出す。
自分や、先生や、経典を盲信しているわけではない。
ただ、ヨガの恩恵により瞑想を深め、考え、行動し、その結果を体験してきた。
そんな日々を通じて、少しずつヨガとの信頼関係を築いてきた。
誰もが皆、悩み、迷いを抱え、乗り越えながら生きていく。
「なにも信じられない」と感じるときもあるかもしれない。
正しい教えも、助言も聞きたくないときだってある。
そんなときでも、嵐のような激しい感情が納まった後、人は静かに考え始める。
やがて心は静まり、かすかな瞑想状態が生まれる。
そしてまた少しずつ、それぞれの人生を歩み始める。
花は太陽に向けて葉を広げ、空に向かって伸びてゆく。
目には見えなくても、人の心にもきっと、太陽のような存在がある。
花が空へ伸びゆくように、僕はヨガを続けたい。
※「花が空に伸びゆくように」という言葉は、ポルノグラフィティの「愛が呼ぶほうへ」の歌詞より引用させていただきました。
僕はこの曲が好きです。