熱意に満ちて

2014年の時点で、僕のヨガの先生は40年以上修行を続けており、
その間、一日も修行を休んだことがないという。
教室の先輩達も20年以上、10年以上毎日修行を続けている方々が多い。
そのほとんどの方が家庭を持ち、仕事や子育てをされている。
個人商店を経営されている方や、大企業を経営されている方もいる。
僕は企業に勤めながら修行を続けて、まだ8年である。
シャクティ・ヨガ・サーダナには25年かけて一人前になるという修道歌があり、
入門3年、基礎5年を経て、これから錬磨7年が始まる。
ヨガのワークショップなどで、ヨガの先生をされている方々とお話した際に、
毎日修行を続けているという話をすると、驚かれることが多かった。
「へえー、熱心なんですね」
「練習したくなりませんか?」
「練習したいけど、教えることで疲れてしまって、家で軽くストレッチするくらいです」
「呼吸法や瞑想はしないのですか?」
「ティーチャーズトレーニングで習ったけど、もう忘れてしまいました」
それは、僕にとって驚きの話だった。
ヨガを教える先生が、練習を満足にしていないという話を、たくさん聞いた。
どうやら珍しい話ではないようだ。
スポーツや音楽を教える先生も、自分の練習をしていないだろうか?
そういう方もいるかもしれない。
しかし少なくとも、熱心に練習をした時期があるから、先生になれたのだろう。
僕が大学でジャズクラブに所属していた時には、毎日練習をする人がたくさんいた。
「ホール人」「主」というあだ名がつくほど、ずっと部室にいる人もいた。
自分も楽器の未経験者だったから、毎日部室に行ってテナーサックスを吹いていた。
音を鳴らすのは難しかったけど、とても楽しい毎日だった。
社会人になれば、毎日練習する人はほとんどいなくなるけれど、
プロとしてライブハウスで演奏を続けている人は、ずっと練習を重ね続けているだろう。
リハーサルや録音が多くなれば、一人の練習時間は少なくなるかもしれない。
それでも、プロとして続けてゆく人は、ずっと変わらずに音楽を楽しみ続けるだろう。
ヨガも同じではないだろうか。
大好きだから、楽しいから、自然と練習するものではないだろうか。
自分の成長が嬉しくて、その喜びを伝えたくて、先生になるのではないだろうか。
練習せずに、のんびりしたい日もあるかもしれない。
それでも目指す何かがあるなら、休まずに頑張り続けるものではないだろうか。
ヨガには試合も無いし、発表会も無い。
誰とも競わないし、点数をつけられることも無い。
そのようなイベントはヨガの本質ではない。
しかし、ヨガにも実力はある。
スポーツや音楽と同様に、実力をごまかすことはできない。
実力を身につけるために、努力と工夫が欠かせない。
実力を身につけるほどに、技術の奥深さと、目指す目標の高さを知ることができる。
僕の先生は、40年毎日修行を続けられたことが、何より幸せだったと話してくれる。
まだまだ道半ばであり、これからがとても楽しみだとも話してくれる。
僕は2014年で30歳だし、ヨガのおかげで健康だから、あと70年位は修行ができるだろう。
苦しいときも、楽しいときも、毎日続けたいと思える何かに出会えた人は、幸せだ。
熱意に満ちて、僕はヨガを続けたい。