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いつからでも、どこからでも

僕は小さな頃から、祖父とたくさんのことを話し合ってきた。

年齢を重ねるごとに、色々な話ができるようになった。

恋をすれば、祖父がどのようにして恋をして、結婚したかを聞かせてくれた。

職に就けば、祖父がどのように仕事と向き合い、誇りを持ったかを聞かせてくれた。

 

そんな祖父も90歳を超え、そろそろ死期が近いと感じたようだった。

僕もまた、祖父の言動によりそれに気がついた。

これで語り合うのは最後かもしれないと互いに感じながら、

祖父は自分の人生を振返り、何を想ったかを伝えてくれた。

 

「ばかばかしかった」と感じたこと、「大切だった」と感じたこと、

全てをひっくるめて「夢幻のごとくなり」だったと祖父は語ってくれた。

 

自分の死が近いと感じたとき、僕は人生の何を振返り、想うだろうか。

祖父に限らず、高齢の方の話を聞いて思うことは、人生の主役は自分だということだ。

どんなエピソードでも、最後に印象に残るのは自分が主役の人生経験である。

「昔、自分にこんなことがあった」

「こんな時代だったけど、自分はこう思った」

「あの人からこんな風に評価されて、嬉しかった」

という話をされる方が多い。

 

自分の人生なのだから、自分が主役なのは当たり前だけど、忘れてしまいがちだと思う。

なぜなら、人生の真っ只中で、重要視されるのは他人の評価だからだ。

 

仕事をする上で、大切なのは相手への責任を果たすことである。

料理を作る人は、相手が食中毒を起こすことなく、おいしく食べてもらう。

運送をする人は、交通事故を起こすことなく、時間通りに運行を進める。

何かを作る人は、作ったものがすぐに故障せず、喜んでそれを使ってもらう。

自分の状態がどうであれ、責任を果たせなければ意味が無い。

 

恋をする上で、大切なのは相手の気持ちである。

自分がどれだけ相手を好きでも、相手が自分を好きでなければ恋は成就しない。

両思いになっても、いつしか心が離れてしまうこともある。

 

勝負の世界では、自分がどれだけ頑張っても、相手に負けることがある。

2人のうち1人が勝つのなら、1人は必ず負ける。

試合、試験、受験、就職、オーディションなど活動の場には競争がたくさんある。

 

仕事で失敗したら、反省して、歯を食いしばって頑張る。

恋に敗れたら、悲しくて、寂しくて、泣いて、次の恋へと向かう。

勝負に負けたら、悔しくて、勝ちたくて、もっと努力する。

 

仕事に、恋に、勝負に一生懸命なのだから、どうしても視野が狭くなる。

高齢者のように、人生の大局を見られないのは仕方がない。

しかし、相手の評価にとらわれて、自分が人生の主役であることを忘れ、

人生の意味を見失ってはもったいないと思う。

 

「この仕事は相手に評価されるだろうか」と萎縮したり。

「この恋は報われるだろうか」と臆病になったり。

「結果が全てだ、負けたら意味が無い」と絶望したり。

そんな気持ちになったら、自分が人生の主役であることを思い出し、

人生の意味を思い出していたい。

 

仕事がすぐに評価されなくても、反省し、努力し、工夫し、模索した時間に意味はある。

恋が報われなくても、相手を好きでいられた時間に、大切に思えた時間に意味はある。

他人にとっては「結果が全て」でも、自分にとっては「全てが結果」である。

全てに意味がある。

 

どんな物語でも、最初から最後まで幸せに満ちていることはない。

ハッピーエンドは様々な経験をした後に気がつくことができると、

たくさんの物語が教えてくれる。

 

ヨガは、自分の人生をより良く生きるためにある。

人の数だけ人生があり、物語がある。

特定のどこかからスタートするわけではない。

特定のどこかへゴールするわけでもない。

 

いつからでも良い。

健康になって、幸せになって、共に生きる人々と、幸せを分かち合って生きていたい。

 

どこからでも良い。

過去の失敗も、現在の未熟さも、全部抱きしめて、希望に満ちて生きていたい。

 

「努力は報われる」

勝者のみが語る言葉ではない。

自分の人生を生き抜いた人にとっても、この言葉は真実だと、祖父の物語が教えてくれた。

いつからでも、どこからでも、僕はヨガを続けたい。

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