どこまでも高く、どこまでも広く

ヨガを修行し続ける人のことを「ヨギ」と呼ぶ。
過去の偉大なヨギたちが記した書物を読み、僕はヨガの神秘と可能性に心を奪われた。
「ヨガスートラ」という昔のヨギたちによって記された有名な本がある。
パタンジャリが編纂し、全4章で構成されている。
その第3章には、ヨガを修行することで何ができるようになるかが記されている。
それはまるで漫画やSF映画に出てくるような超人的な内容だった。
「そんなことが本当にできるだろうか?」という気持ちで読んだのが正直なところだ。
しかし、第1章や2章で説かれているヨガの修行体系や心得については、
ヨガを行う多くの人が学ぶ、普遍的で素晴らしい内容である。
それだけに、第3章で嘘をつく理由が見つからない。
「あるヨギの自叙伝」というパラマハンサ・ヨガナンダが1940年代に記した有名な本がある。そこに記されている様々な人たちの話も、漫画やSF映画を凌駕する、凄い内容だった。
そして、近代に書かれた本でもあるため、リアリティがある。
インドの偉大な魂「ガンジー」が著者からヨガを学ぶ場面もある。
日本には、弘法大師空海がいる。
仏教も密教もヨガも、真言や瞑想の行法を通じて同じものだと、僕の先生は教えてくれた。
そして、日本各地に伝わる空海の業績も、まるでおとぎ話のような世界である。
しかし、その魂の偉大さを感じるにつれて、本当かどうかよりも、
どこまでも修行を深めて、体験してみたいという気持ちが強くなった。
物心ついた頃から「ドラゴンボール」や「ワンピース」を読んで育った僕にとって、
偉大なヨギが記した本の内容は心からワクワクするものだった。
もちろん、「かめはめ波」ができるとは書かれていないし、破壊力をつけたいわけでもない。
ただ、もっと強く、美しく、自由自在でありたい。
社会人として地に足をつけて働き、常識をわきまえて暮らしながらも、
「かめはめ波」の真似をする少年のように、無邪気な希望に満ちて、
毎日ヨガの修行を続けている。
世界は広い。僕の知らない広大な世界が、どこまでも広がっている。
過去の偉大なヨギたちが、人間の可能性の大きさを教えてくれた。
そして同時に、もう一つ忘れてはならないことがある。
偉大な人が共通して記している「自分だけが特別な存在ではない」というメッセージだ。
偉大な人は、このようなことは言わない。
「私は特別です。あなたとは別次元の存在です。あなたは修行をしても無駄です」
そのような話を聞きに、たくさんの人が集まるはずがない。
偉大な人は、修行の厳しさを語ることはあっても、相手の希望を奪うことはしない。
キリストもブッダも、なにかを教えるときに
「私は特別、あなたには無理」ということは言わなかったと思う。
「彼らは特別だ、自分には無理だ」と感じるのは、それぞれの自由だけれど、
偉大な人たちの望むところではないはずだ。
偉大な魂は、相手に信仰心や修行を押し付けたり、相手の自由を損ねることはしない。
ただ、修行の大切さを伝え、慈愛深く、子供が自ら立ち上がるのを見守る親のように、
いつでも手を差し伸べる準備をして待っている。
そして、可能性を信じて、努力を続ける人のことを応援してくれる。
ヨガの修行を続け、様々な形で修行を助けていただき、そう感じるようになった。
この修行を続けた先に、どんな世界が広がるのか、とても楽しみだ。
そして何があっても、それがどんなに神秘的でも、正しく静かに受け止めていたい。
そして、幸せな境地を胸に秘め、大切な人を護って生きる、ただの男でありたい。
普段は誰とも語りあうことの無い、おとぎ話のような夢を抱いて。
どこまでも高く、どこまでも広く、僕はヨガを続けたい。
